前回からの続き~
『イスラム2.0』(飯山陽著)
本屋さんで目にして、
イスラム圏で働いたものとしてこれは必読書だ!と思い、買ったものの、
積ん読して早半年、汗。
やっと読み終わり、そして、いろいろ考えさせられた。
同書の副題は、 SNS が変えた1400年の歴史観、とある。
インターネットは宗教さえ変えてしまう?!
インターネットが、今まで一般のイスラム教徒がアクセスできなかったイスラム教の啓典コーランやハディース(預言者ムハンマドの言行録)に
自由に手軽にアクセスできるようになったことが
イスラム教の宗教観を変えたという。
イスラム教徒自身の宗教観を。
それに伴い、イスラム教を取り巻く世界のイスラム教に対する宗教観も変えざるを得なくなっている。
商用機をハイジャックし、ニューヨークのツインタワービルに突っ込んだ、未曽有のテロ事件を起こしたアルカイーダや、
シリアやイラクで残虐行為を繰り返しながら領土を拡大し『イスラム教に則った国』を目指したイスラム国。
今まで、このようなテロ組織に指定されるようなイスラム原理主義は本当のイスラム教じゃない。
本当のイスラム教は平和の宗教なのだ。
イスラム原理主義勢力が起こす事件の数々がニュースで流れると、そんな解説を耳にした。
イスラム教徒である友人や同僚の口からも、何度もそれを聞いている。
しかし、著者は今までの通説「イスラム教は平和の宗教」論は違うという。
そもそも、平和の意味が違うという。
イスラム教の平和は、私達の視点で言えば、
イスラム教徒だけの限定的な平和で、
イスラム教が覇権を握ることによって確立される秩序の下でもたらされる平和。
イスラム国にも、イスラム的価値に基づく平和、自由、平等が存在している。
それは、私たちが意味する万人のための平和、自由、平等とは異なる、
そういうことなのだ。
以前は文字を読めない人も多かったし、
膨大な量のハディースを所有することは難しかった。
だから、コーランやハディースの内容を伝える宗教指導者が果たす役割は重要だった。
が、インターネット時代の現代社会では、
宗教指導者を介さなくても
コーランやハディースでググれば、誰でも神の言葉に直接アクセスできる。
アラビア語が分からなくても、Google翻訳が活躍してくれる。
宗教指導者が説いていた「神の言葉」に
ほころびが生じている。
神の言葉に忠実で正しい教え、解釈ばかりではない、というほころびが。
続く~