海外支援従事者のひとり言

アジア、アフリカ、中東と緊急人道支援で渡り歩き、合間合間で旅に出る、半ノマド生活を送るパルワナが、海外支援で思うこと、旅の話、世界のこと、日本のことについて独り言ちます。

祝・元職場WFPがノーベル平和賞受賞

久しぶりに中学校時代の同級生からメッセージが入った。

 

何かなと思ったら、

「WFPがノーベル平和賞受賞したね!おめでとう!」

とのお祝いの言葉。

 

ニュースはほとんど見ないので、実は知らなかった、汗。

 

WFPから縁遠くなってウン十年経つけれど、

好きだった職場の名誉に

正直に嬉しい。

今頃?! という驚き感もあるけれど。

www.wfp.org

 

World Food Programme、国連世界食糧計画 

緊急人道支援で紛争や災害の犠牲に食糧を届ける。

私がWFPで働いたアフガニスタンでの数年間は、

東北地方バダクシャン州の僻地の僻地にまで

食糧を届けました。

 

場所によっては、10月から6月まで半年以上も

雪で道路が閉ざされ

陸の孤島となってしまう高地のバダクシャンでは、

冬になる前の大切な食糧配布戦略だ。

 

雪が降ってしまい道路が通行できなくなってしまうと、

国内からは食糧輸送ができないため、

隣国タジキスタンから国境超えて、

国内からは到達できない地域へも食糧を届けた。

 

僻地には、道なき道を何十頭ものロバが

50キロの小麦袋や食用油の缶などを背負って

食糧を届けてくれた。

ロバ、大活躍!

 

僻地の僻地にまで食糧を届けることが使命のWFPだから、ロジには強い。

 

アフガニスタン事務所では、

自前で大型トラックを何十台も所有していて、

トラックの管理・整備も自前で行っていた。

 

ロジに強いWFPは、

UNHAS (United Nations Humanitarian Air Service) と呼ばれる

人道航空サービスも展開していて、

民間機が飛ばないようなところに飛行機を運行し、

物資や人道支援従事者を乗せてあちこちに飛んでいる。

 

私もアフガニスタンやケニヤのソマリア難民ダダーブ難民キャンプで

利用していたし、

コロナ禍で民間機がことごとく運航停止した時も大活躍した。

 

そんなWFP

懐かしいなぁ。

いろいろな思い出が蘇ってくる。

 

またぽつぽつと

アフガニスタンでのあれこれを書いてみたい。

 

追伸: 国連ではアメリカ英語でなくイギリス英語が使われるので、WFPのPはProgram ではなくProgramme になります~。