海外支援従事者のひとり言

アジア、アフリカ、中東と緊急人道支援で渡り歩き、合間合間で旅に出る、半ノマド生活を送るパルワナが、海外支援で思うこと、旅の話、世界のこと、日本のことについて独り言ちます。

じゃあ私たちはガザのために何ができるの??

前回、ガザの写真家ファトマ・ハッスナーの目を通して

ガザの惨状を訴えるドキュメンタリー映画

『手に魂を込め、歩いてみれば』の紹介をした。

www.youtube.com

 

私が現場で経験したガザの惨状の話をする度、

「ガザのために私達には何ができるの??」

と聞かれる。

 

ほとんど接点のない遠い国の、

戦火で苦しく大変な思いをしている人々のために

日本にいる私たちが出来ること。。。

 

まずは知ること、周りに伝えること、

そして無理のない範囲で自分には何が出来るかを考えてみること。

 

私はこのように答えている。

 

例えば、ニュースで流れるほんの一瞬の切り取りではなく、

ググってみて専門家の記事を読んでみたり、

ドキュメンタリーや特集番組などで深堀して

状況をより良く理解するよう努めること。

とっても大切な第一歩だと思う。

 

そして、それを自分の中だけに留めておかないで、

折角知ったことを

周りの人に伝えてみる。

 

そうしたら、全く関心のなかった人が

そうなんだ!と、

もう少し意識を向けなきゃ! 向けたい!と

思ってくれるかもしれない。

 

表面的には関心を示さなくても、

「ガザ」という単語が無意識上に蓄積されていくかもしれない。

 

小さなアクションが

積み重なっていき、

大きなアクションのきっかけになるかもしれない。

 

そして、自分が可能な範囲で何が出来るかを考えてみる。

もちろん、人に何が出来るかと聞いてみることも一つ。

そして何ができそうかをAIに聞いてみることも一つ。

ガザ支援をしている団体ってどこがあるんだろう、

どんな活動をしているんだろうって、ググってみることも一つ。

 

そんな団体に団体に寄付をする、

ボランティアとしてかかわってみる、

そんなことも可能かも。

 

大切なのは無理せず可能な範囲で出来ることを探すこと。

無理したら、それは偽善な感じがして私は余り好きではない。

無理したら、続けられないし。

 

私ができることは、

ガザで買ったアラブ・スカーフをファッションに取り入れて

ガザに連帯を示すこと。

そして、「これガザでかったんだよー!」と

周りの人にガザの話題を振ること。

 

ちなみにカフィヤと呼ばれるアラブ・スカーフについて、

こちらご参考まで。

parwana.hatenablog.com

 

それから、

水も食料もないガザの人々に思いを馳せて、

少なくとも水も食べ物も無駄にしない、感謝して頂くこと。

 

そして、このように情報発信すること。

 

些細なことだけれど、

世界中の全ての人がそれぞれに可能な範囲で自分ができることを確実に継続的に実行すれば、

それは世界を変えていく力に繋がると信じている。

 

信じたい!!!

ニュースでは到底実感の湧かないガザを感じる

unitedpeople.jp

 

2014年のイスラエル・ガザ紛争で

被災したガザの人々のための緊急人道支援

エルサレムに駐在し、

ほとんど毎月ガザに通っていた身として、

ガザの出来事は他人事ではない。

 

実質的な支援事業は

ガザ内のパレスチナ人同僚が実施していて、

ガザに元同僚が何人もいる。

 

貴重な電力を必要なことに使ってもらいたいため

連絡は控えているけれど、

彼らは大丈夫なのだろうか。

まだ生きているだろうか。。。

祈るしかない。。。

 

映画は

イラン出身のセピデ・ファルシ映画監督が

ガザに入域したくてもできない様子から始まる。

 

私も2024年5月、ガザとの国境、エジプトのラファからの

緊急支援物資の越境手配のためカイロにいた。

丁度ファルシ監督がファトマと知り合った頃だ。

 

外国人は勿論のことエジプト人もラファへの入域は

エジプト政府により厳しく制限されていて

もどかしく感じたことを思い出した。

 

人どころか、緊急支援物資も

ラファ検問所を通り抜けるのに

気が遠くなるほどの時間がかかる。

いつガザ側に到達するかは神のみぞ知る。

どの様に検問が行われているのかも全く分からない。。。

 

映画の主人公ファトマ・ハッスナーは

ガザ市で暮らす24歳のフォトジャーナリスト。

ファルシ監督はエジプト側のパレスチナ難民を介して

オンラインでファトマと知り合い、

彼女を通じてガザの様子を映像に収めていく。

 

二人の1年に及ぶコミュニケーションは

ガザの中に閉じ込められた一市民の目線で

ガザの惨状と絶望を克明に映し出した。

 

明るく笑顔を絶やさなかったファトマだけれど、

時間が経つにつれて笑顔が少なくなり、

うつろな表情を見せるようになっていく。

ファトマが段々無表情になっていく様子が辛い。

 

ほとんど食べていないと言う。

きれいな水もない。

集中できない、

思考できなくなってきていると言う。

 

ヘリコプターやドローンが飛び交う騒音

背後に聞こえる爆撃

ファトマの住居の窓から見える、空爆による爆煙

破壊されぺちゃんこに倒壊した建物や家々と瓦礫の山

 

ファトマも何度も強制移住を強いられている。

でもガザに安全なところはどこにもない。

 

ビラによりその地への攻撃予告と移動勧告をしておきながら、

人々が移動すると、移動先を攻撃するイスラエル

信じられない!

  

連日ニュースで流れるものの、

遠く実感のないガザ地区の惨状が、

ファトマの映像や写真を通じて目の前に迫り、胸が詰まる。

戦争が与えるファトマへの心理的影響を目の当たりにして、

戦争の怖さ、悲惨さに身震いする。

 

そして遂に

家族7人共々ファトマが空爆の犠牲となる日が来てしまった!

ファトマとのやり取りが映画としてカンヌ映画祭に招待された翌日に。

 

この映画を通じて、

ガザの一市民ファトマの目を通じて、

イスラエルに攻撃されるガザ地区の様子、

戦争が人間に与える甚大な物理的、心理的影響が胸に迫る。

 

以前属していた団体で、

ハラハラしながらガザの現地スタッフの毎日の安否確認連絡を

待っていたことを思い出した。

 

まさに、明日どころか1時間後に

自分がどうなっているか分からない状況にいることを

私たちは想像しがたい。。。

 

「今こそ この戦争を撮って

世界に見てもらう必要がある。

苦しみを全て記録するの。

他に誰がやる?」と言ったファトマの強さ。

 

映画を見ながら

電気もほとんど使えない状況で、

インターネットの接続の悪い中で

ファトマは監督とコミュニケーションを続けていて

大丈夫なのかと思ってしまったのだけれど、

これはファトマの信念と覚悟の表れだった。

 

ファティマは記録した。

今度は一人でも多くの私たちが見る番。

ファティマが言うように、

世界中の私達には、その必要がある。

 

『手に魂を込め、歩いてみれば』は

12月5日より全国で順次上映される。

是非映画館に足を運んで

ガザの一般市民の目線でガザを感じて欲しい。

ガザに触れて欲しい。

大阪・関西万博へ出稼ぎに行ってました

早いもので今年も1か月余り。

今年に入ってから、しばらくブログをご無沙汰していた。

 

実は、その間

大阪・関西万博2025を満喫していたの♪

 

去年の今頃はまさか自分が万博に関わるとは

想像さえしていなかったのだけれど、

万博で働くことになるとは。

 

私が緊急人道支援に関わるきっかけとなったのも

まさに万博!

スペインのセビリヤ万博だった。

 

私の人生に多大なる影響を与えた一大イベントだ。

 

セビリヤ万博では赤十字パビリオンで活動したけれど、

今回は、コモンズ館が勤務先となった。

 

コモンズ館は主に発展途上国と呼ばれる国々が

個別のパビリオンを建設せず、

一つのパビリオンの中に合同で入居して

展示を行うという形のパビリオン。

AからF館まで全部で94か国が入居している。

 

世界には約200か国があるけれど、

その約半数がコモンズ館に集約されてるなんてスゴすぎ!

 

コモンズ館の国々は遠くって移動にお金も時間もかかるし、

普段あまり接点も関心も限定的な傾向にある

発展途上国の国々。

 

セントルシアアンティグア・バーブーダエスワティニなんて

聞いたこともない国もたくさん!

 

コモンズ館を全部巡れば

世界の半分の国を疑似体験できちゃう!

 

イエメンやパレスチナウクライナスーダンなどなど

戦争しているしている国々も参加しているから、

渡航不可能な国々に触れることも出来ちゃう!

 

凄すぎ、楽しすぎ!

 

もう万博は終了してしまったけれど、

会期中にコモンズ館に参加していた国々の紹介をしていたので

遅ればせながら、是非聞いてみて欲しい。

stand.fm

 

未知の小さな国々の大きな物語

ときめき、魅せられることを願いつつ。

 

私も、お陰様で半年のコモンズ館勤務で

行きたい国リストがまたまたぐーんと増えちゃった!

1月だけどクリスマス飾りは出しておかなきゃ!

メキシコ人を配偶者に持つリーさんを含むグループで

1月5日にオンラインで集った。

 

リーさんの画面の背景には

キラキラのラメ入りモールや

クリスマスツリーらしき飾りつけがうつっている。

 

参加者の一人が

「リーさんのとこは

まだクリスマス飾りで賑やかだね~www」というと、

 

「うちの配偶者メキシコ人でしょ、

メキシコではクリスマスプレゼントは1月6日なの。

だから当然クリスマス飾りは

その日まで出しとかなきゃ、ってことなんですよ。」

 

なんと、メキシコのサンタさんは1月に来る?!

 

彼女曰く、

キリストの生誕を知った東方の3人の賢者が

星に導かれてキリストにお祝いの品を届けに行った

というエピソードが聖書に書かれていて、

その逸話に由来して

1月6日は3賢者の日になっている。

 

子ども達は東方の3賢者に手紙を書いておくと、

1月6日の朝にサンタクロースならぬ3賢者が

プレゼントをクリスマスツリーの下に

置いておいてくれるんだって。

 

実際にはイエス・キリストが誕生したのは

12月25日とされているけれど、

3賢者がキリストの生誕地、

パレスチナベツレヘムに到着したのが

1月6日だったのだそう。

 

へー、そうなんだ!

聖書のそのお話は知っていたけれど、

それが 元となってメキシコでは

1月6日がプレゼントの日になってるなんて知らなかった!

 

実はメキシコだけではなく

この習わし、スペインにもあるみたい。

 

なので スペインでも クリスマス休暇はながーく

1月6日までなんだって。

 

旧スペイン植民地のメキシコは

その風習を受け継いでるんだなぁ、しみじみ。

 

ちなみにこの聖書のお話、

新約聖書のマタイによる福音2章に次のように書かれている。

 

*****

エスは、ヘロデ王の時代にユダヤベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て言った。

ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 

これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。

エルサレムの人々も皆、同様であった。

王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、

メシアはどこに生まれることになっているのかと

問いただした。 

 

彼らは言った。

ユダヤベツレヘムです。

預言者がこう書いています。

『ユダの地、ベツレヘムよ、

お前はユダの指導者たちの中で

決していちばん小さいものではない。

お前から指導者が現れ、

わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

 

そこで、ヘロデは占星術の学者たちを

ひそかに呼び寄せ、

星の現れた時期を確かめた。 

そして、

「行って、その子のことを詳しく調べ、

見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」

と言ってベツレヘムへ送り出した。 

 

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、

東方で見た星が先立って進み、

ついに幼子のいる場所の上に止まった。 

学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 

 

家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。

彼らはひれ伏して幼子を拝み、

宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 

 

ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と

夢でお告げがあったので、

別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

*****

 

この後、ヘロデ王は3賢者に騙されたと知って怒り狂い、

ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を

皆殺しした、

 

と聖書は続いていく。

 

今も昔も、暴君の悪行は変わらず。。。

あーあ。。。涙



主題に戻り、

同じキリスト教国でも

ところ変われば 風習変わり、

クリスマスのプレゼントは12月25日だったり

1月6日だったり。

 

興味深い。

2025年、日本のお正月

2024年の年越し、毎年恒例のマイ・イベント。

近所のお寺で除夜の鐘をついて、護摩焚きしてもらって

お神酒を飲み、

元旦の早朝に実家に帰っている。

 

今年は父と二人きりの実家での正月三が日となった。

元ザ 昭和の企業戦士

家事は全くしない・できない父親で、

実家がどんな風に荒れているのかこわごわ訪れたけど

思ったより散らかっていなくてホッとした。

 

しかし せっかくのお正月なのに、

玄関にしめ縄や葉っぱ付みかんの乗った鏡餅や、

お正月のお花飾りやら

 全く何もない。。。

なんと殺風景なお正月、涙

 

かろうじておせち料理は注文していたみたい。

小さいプラスチックの3重の重箱おせちには、

こじんまりとしながらも、何と全46種類もの料理が詰まってる。

綺麗だし色々食べられて

目にもお腹にも楽しい♪

 

でもでも、やっぱりちゃんとしたお重で、

母親が手作りしたおせちが懐かしいなぁ。。。

 

しかも健康オタクの私、

市販のおせちは保存料、着色料など添加物いっぱい、

それに元々おせちは保存食的でもあるため

砂糖や塩をかなりたくさん使っていると知って、

ちょっと複雑ではある。

 

おせち料理に加えて、

実家のお正月はすき焼きが恒例となっている。

ありがたいことにあちこちから

普段は買わない(買えない、苦笑)

高級牛肉が送って来るので

家族ですき焼き鍋を囲む。

 

今年は父親と2人だけだけど、肉はある。

それで今年もすき焼きをすることにしたのだけれど

卵がない!

 

ちょっと前まではどのスーパーも1/1は初売りで

賑わっていた気がするのだけれど、

今年はお休みのところがチラホラ。

 

個人的には、

商売中心でないライフ・ワークバランスを取り入れた営業は

いい傾向だと思う。

 

けれど、すき焼き用の卵は必要!

 

お陰様で近所のスーパーは開いてました。

しかも、こんなおめでたい紅白卵!

 

そしてお花コーナーには

お正月飾り用のお花セット、松や千両が大安売り!

まるで12/25を過ぎたクリスマスケーキのようだと微笑んだ。

 

遅ればせながら殺風景な実家に、

ささやかなお正月飾りで神様をお迎えするため

一式購入、早速生けてお正月気分を盛り上げた。

お花があるだけで、気分が上がる~♪

 

 こんな時

 やっぱり私は日本人だなあと思う。

 海外駐在が長くて、色々な国でお正月を迎えていて

日本風お正月にこだわりはないつもりだったけど。

 

郷に入れば郷に従え!

日本にいる時は

やっぱり日本仕様のお正月が恋しいと思う。

やっぱり日本仕様のお正月を味わいたいと思う。

 

風土と文化に根差した伝統・風習を大切にしていきたい。

薬膳料理で罪悪感ゼロ忘年会

ずっと行きたかった

高田馬場の羊貴妃羊湯館

名前に惹かれてた、笑

絶世の美女・楊貴妃も愛する羊料理?!

そして、薬膳スープってところにも。

 

中東に駐在していたこともあり、

羊肉と言えばケバブが思い浮かぶ。

スパイスたっぷり、油こってり。

ナンやピタパンにはさんで食べる。

うまいんだなー、これが。

 

そうそう、羊のスープもあるけれど、

こちらも油こってりの濃厚スープ。

 

しかし、ここ楊貴妃羊湯館は中華系。

羊料理の目玉は薬膳スープというでないの。

何だかとっても体に優しそう♪

 

じっくり煮込んだ羊湯スープは

疲労回復、栄養補給、代謝アップ効果があるそうだ。

ありがたや!

 

普段はランチメニューのみで抑えるところ、

女子会の面々はあれもこれも食べたくて、

蒸餃子やらスペアリブやら

あれこれ注文した。

勿論全部羊肉料理。

他にもいろいろなメニューがあって、

こんなに羊肉料理があるなんて、楽しすぎる~。

 

早速運ばれてきた羊湯スープのどんぶり、でかい!

なみなみ注がれたスープはすごいボリュームだ。

 

まずは何も加えず、そのままスープを一口口に含んだ。

美味しい♪

こってりと思いきや結構サラッとしている。

美味しい~♪

お腹が空いていたせいもあって、

止まらなくなっちゃった。

ガンガンいっちゃう!

 

この羊湯、流儀があるらしい。

1.まずは素で食べる。

2.お好みで塩・胡椒で味調節を。

3.酸味好きは酢を入れる。白濁するので色の変化も楽しめる。

4.辛味好きは特製辣油で辛みと旨味を味わうべし。

5.美味かったら定員に「ハオチー」と伝える💛

 

どんぶりの一角にお酢を入れて味の変化を楽しみ、

更に別の一角に特製辣油も足して

違う味の変化も堪能した。

 

この特製辣油、辣油自体もおいしくって、

食が進む、進む!

この辣油も原料に羊の油を使っているらしい。

すごいこだわり!

 

そしてスペアリブを特筆したい!

 

外はカリカリ、意外や意外のクミン風味。

中はしっとりジューシー。

さすがにスペアリブは肉々しいけれど、

自家製ナンにはさんで食べると

これまたまたおいしさ倍増。

 

結局、でかいどんぶりスープに餃子にスペアリブ、

みんなペロンと食べちゃった。

 

でも不思議なことにお腹が重くない!

薬膳マジック?!

 

薬膳料理で忘年会、

今まで思いつかなかったけど、今後はこれで行こう!

 

2024年もあと少し。

今年もいろいろありました。

2025年は一人でも多くの人が笑顔になりますように。

そのために微力ながら引き続き活動していきます♪

イスラエル人ってイスラエルのガザ地区攻撃についてどう思ってるの?

今日はクリスマスなのに、

その舞台周辺では戦闘が止む気配は一向に見えない。。。

先日のシュタイエ前パレスチナ首相の話では

もうすぐ停戦をほのめかしていたのに。。。

parwana.hatenablog.com



2015-19年にパレスチナに駐在していたのは、

2014年に イスラエルガザ地区空爆

2000 人以上が殺害された紛争の

緊急人道支援のためだった。

 

 イスラエルは数年ごとにガザを攻撃していた。

 ハマスを生かさず殺さず、

適度にパレスチナ自治政府との対立を維持させるため。

そして、たまに「草刈り」する。

ハマスのテロ活動が活発化して草が伸びてきた状態になると

草刈りをしてハマスの勢いを刈り取る。

そんなことが何回も繰り返されていた。。。

 

パレスチナ駐在時には、イスラエル側の西エルサレムにも普通に行けるし

勿論イスラエルの他の都市にも自由に行けた。

でも、残念だったのは一般のイスラエル人、ユダヤ人と

仲良くなる機会はほとんどなかったこと。

 

だから、イスラエルパレスチナに対する

一般的な見方、考えは見聞きしていたけれど、

結局、一般イスラエルの人々の声を直接聞く機会はなく

駐在を終えた。

 

他にも駐在中やっておけばよかったと

後悔したことはいくつもあり、

Breaking the Silence (BS)の リアリティ・ツアーに

参加しなかったこともその一つだ。

 

 パレスチナ人によるベツレヘム での

イスラエル 占領下のリアリティ ツアーは

5時間以上ものウォーキングツアーで体も心も疲れるけれど、

本物のバンクシーの壁画もいくつも見ることができ、

パレスチナ人の置かれた境遇に胸を痛めつつ

占領の現状を知る絶対的おすすめツアー。

(西岸も今は治安不安定化しているし、

今はやっていないんだろうな。。。)

 

 他方、BSのツアーは、

ヨルダン川西岸ヘブロンでの占領活動に従事した

イスラエル人元兵士による告発ツアーで、

いかにイスラエルによる入植が不当であ

り非人道的であるかを発信している。

 

このBSの活動を追って日本の映画監督、

土井敏邦氏が映画を撮影していた。

www.youtube.com

 

その土井監督の「愛国の告白―『沈黙を破る』Part・2―」

上演と一般イスラエル人との討論会が開催されるというじゃないの。

行かない訳にはいかない!

 

***

登壇者イスラエル人は

リベラルな左翼系のイスラエル家庭に生まれ、

全く主流派でもイスラエルを代表する立場でもないと

断った上で、

イスラエルでは左派は少数派)

イスラエル社会の今について、

そして、なぜ自分は日本に来たのかについて語った。

 

しょっぱな興味深かったのは、

彼が、「宗教はと聞かれたら「シオニズムと答える」」と

言ったことだった。

シオニズムって宗教?! 宗教はユダヤ教でしょ!?

 

駐在時に

シオニズム120周年シオニズムは無限の理想ー

って大きな看板を目にして、

とっても違和感を感じたことを思い出した。

この違和感、

シオニズムって政治運動が宗教化してるからだって

今、腹落ちした。

 

興味深かった点2

イスラエルは平和な国と教え込まれ、

皆それを信じていること。

だから平和を守るために軍に行くのは神聖なことだし、

逆にいかなければおかしいと思われること。

戦うのはユダヤ人として

自分たちの存在のためと信じていること。

 

興味深かった点3

パレスチナの状況、映像を見聞きすることはほとんど皆無。

ガザの人々の様子を見る機会はない。

 

。。。ここまでは、想像・理解の範疇で

そこまで驚くことではないけれど、

 

驚いたのは、

イスラエル人たちは事実を見ていない、見たくない、

見ないようにしている、

自分達の精神を保つための

防衛本能が働いていると言っていたこと。

人びとはBSのことを知っているけれど、

信じようとしない、と。

信じようとしないどころか、

嫌がらせをしている。殺人予告まで!

 

そして、ショックだったのは、

上からの弾圧ではなく、下からの民衆の同調圧力により、

パレスチナ発言をしようにも出来ないという事実!

 

ユダヤ人の間の対パレスチナ感って

そこまでなんだと驚きを隠せない。

教育を始め社会システムにおいて

アラブに対する恐怖を植え付け、洗脳して、

シオニズム」という怪物が暴走しているとしか思えない!

 

イスラエルの平和を脅かす悪のアラブ

だからアラブを退治しイスラエルの平和を守るのは正しい。

殺らなきゃ、殺される。。。

 

この登壇したイスラエル人は配偶者が外国人なので、

配偶者を通じて

実際ガザがどのような状態になっているのかに

気づくことができた、見ることができた、と言っていた。

最初は辛かった、とも。

 

でも、もはやここで子供を育てたくない、と

出国したそうだ。

 

彼同様、BSの勇気ある元兵士同様、

今回のイスラエルハマス戦争に従事したイスラエル兵が

同様の告発をしてくれればと願う。

 

そして停戦が一刻も早く実現することを心から祈っている!