昔、日本語学校で働いていたことがある。
ハワイ出身の日系人が何人か日本語を勉強していた。
3世ともなると
家庭でも日本語は共通語ではなくなるんだと意外だった。
自分のルーツを忘れない、忘れまいという
日本人アイデンティティは、
脈々と受け継がれているんだろうと思っていたから。
ハワイ出身アメリカ人の友人がいる。
彼の祖父母はハワイへ、
他の親戚はブラジルへ渡った。
祖父母がハワイを選んで自分は本当にラッキーだったと
言っていたことを、今もよく覚えている。
ちなみに、彼も3世で日本語下手だった。
昔、外国人による日本語弁論大会というイベントで、
日系ブラジル人のスピーチの中で、
スプーンを匙(さじ)と呼んでいるという部分が
なぜか今も記憶に残っている。
日系1世の日本時計は
日本を出国したところで止まっている。
今は英単語が日本語化したカタカナ単語がなんと多いことか。
今時、匙なんて言わないし。
陸路ハイチに入るため
ドミニカ共和国に降り立った。
ここで会議を持ったのが、日系人コミュニティ。
過去の日本の移民政策に明るくないため、
入植当時はかなり過酷な環境と待遇だったらしい。
「夢と希望の海外移民とうたった日本政府に騙された」
という言葉が鮮烈に記憶に残っている。
日本人海外移民というと、
こんなことが断片的に思い浮かんだ。
時間がなかったので、ささっと資料館を見て回った。
日本の海外移住政策は1866年に始まったらしい。
移民が持参した
移民七つ道具なるものが詰まったトランクが
とってもレトロで興味深い。
まさに日本の生活を移民先へという感じ。
移住政策が始まって1世紀半の時が過ぎ、
日系人も6世代目が誕生している。
ハワイの日系6世の赤ちゃんが誕生した大家族の
大きなパネルも展示されていた。
大家族の中に、違う肌の色の人たちも混じっている。
こうやって移民って世代を重ねて
少しづつ、少しづつ、現地に同化していくのかな。
1世が祖国に思いを馳せつつ、
祖国のアイデンティティを保とうとしつつも
世代が変わるにつれ、
徐々に移住先の生活様式、文化、考え方が
染み込んでいくのかな。
それにしても、このJICA海外移住資料館、
なんと空間を贅沢に使った場所だろう。
動物たちと一緒に港を眺めることもできる。
移民資料を見ないで、横浜散策一休みの穴場にもなりそう、笑。