海外支援従事者のひとり言

アジア、アフリカ、中東と緊急人道支援で渡り歩き、合間合間で旅に出る、半ノマド生活を送るパルワナが、海外支援で思うこと、旅の話、世界のこと、日本のことについて独り言ちます。

JICA海外移住資料館で日系人アイデンティティを考える

昔、日本語学校で働いていたことがある。

ハワイ出身の日系人が何人か日本語を勉強していた。

3世ともなると

家庭でも日本語は共通語ではなくなるんだと意外だった。

自分のルーツを忘れない、忘れまいという

日本人アイデンティティは、

脈々と受け継がれているんだろうと思っていたから。

そして母語アイデンティティの主要な要素だから。

 

ハワイ出身アメリカ人の友人がいる。

彼の祖父母はハワイへ、

他の親戚はブラジルへ渡った。

祖父母がハワイを選んで自分は本当にラッキーだったと

言っていたことを、今もよく覚えている。

ちなみに、彼も3世で日本語下手だった。

 

昔、外国人による日本語弁論大会というイベントで、

日系ブラジル人のスピーチの中で、

スプーンを匙(さじ)と呼んでいるという部分が

なぜか今も記憶に残っている。

日系1世の日本時計は

日本を出国したところで止まっている。

 

今は英単語が日本語化したカタカナ単語がなんと多いことか。

今時、匙なんて言わないし。

 

そして、2011年ハイチ大地震の緊急人道支援

陸路ハイチに入るため

カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の隣国

ドミニカ共和国に降り立った。

ここで会議を持ったのが、日系人コミュニティ。

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イスパニョーラ島の西1/3がハイチ、東2/3がドミニカ共和国

 

過去の日本の移民政策に明るくないため、

ドミニカ共和国にも日系人がいること、知らなかった。

入植当時はかなり過酷な環境と待遇だったらしい。

「夢と希望の海外移民とうたった日本政府に騙された」

という言葉が鮮烈に記憶に残っている。

 

日本人海外移民というと、

こんなことが断片的に思い浮かんだ。

 

時間がなかったので、ささっと資料館を見て回った。

www.jica.go.jp

 

日本の海外移住政策は1866年に始まったらしい。

移民が持参した

移民七つ道具なるものが詰まったトランクが

とってもレトロで興味深い。

まさに日本の生活を移民先へという感じ。

 

移住政策が始まって1世紀半の時が過ぎ、

日系人も6世代目が誕生している。

ハワイの日系6世の赤ちゃんが誕生した大家族の

大きなパネルも展示されていた。

 

大家族の中に、違う肌の色の人たちも混じっている。

こうやって移民って世代を重ねて

少しづつ、少しづつ、現地に同化していくのかな。

1世が祖国に思いを馳せつつ、

祖国のアイデンティティを保とうとしつつも

世代が変わるにつれ、

徐々に移住先の生活様式、文化、考え方が

染み込んでいくのかな。

 

それにしても、このJICA海外移住資料館、

なんと空間を贅沢に使った場所だろう。

動物たちと一緒に港を眺めることもできる。

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移民資料を見ないで、横浜散策一休みの穴場にもなりそう、笑。