海外支援従事者のひとり言

アジア、アフリカ、中東と緊急人道支援で渡り歩き、合間合間で旅に出る、半ノマド生活を送るパルワナが、海外支援で思うこと、旅の話、世界のこと、日本のことについて独り言ちます。

インクルーシブ教育とアフガニスタンの女性の権利と

弁護士さんって

普段はほとんど接する機会がない。

 

幸運にも、裁判に訴えたことも、訴えられたこともないし。

 

そんな縁のない弁護士さんたちとご飯をご一緒する機会に恵まれた。

そのうちの1人は視覚障害のある女性だった。

 

2022年の日本の弁護士の数は約4万4千人で、

女性は約8,600人。

全弁護士の2割程度。

 

そして、視覚障害のある弁護士数は累計で10人なのだそうだ。

現在の数ではなく累計で10人。

まだまだインクルーシブでない。

 

そんな稀有な弁護士さんが

現在のインクルーシブ教育推進の風潮について

当事者視点の興味深い発言をした。

 

インクルーシブ教育を旗振りしているのは

必ずしも障害を持つ当事者ではなく、

その在り方が正しいと信じる健常者だということ。

 

社会が、教育の場が、

インクルーシブになるべきだし、

社会はその方向に進んでいくだろうけれど、

 

でも現在の状況で

例えば、障害のある子供が普通校に通わなければいけないとなると、

まるで、ピラニアの池に放り込まれるように怖い! と

経験から語っていた。

 

インクルーシブな社会、

インクルーシブな学校、

インクルーシブな教室、

正論だけれど、

残念ながら、差別、いじめは起こってしまうだろう、と。

 

卵が先か、鶏が先か、ではないけれど、

もっと土壌が整ってからでないと、

「インクルーシブな」学校に通わざるをえなかった子供は

心に大きな傷を受ける危険性もある、と。

 

ああ、やっぱりこのやり方ではだめだったね、

ではあのやり方にしましょう、と

まるで実験のように方針を変えることはできるけれど、

 

そこに巻き込まれ、影響を受けた子供の

時間を戻すことはできない、と。

 

これ、健常者が言うと炎上しそう!

インクルーシブ教育推進政策は

障害者をピラニアの池に放り込むようなものだ、なんて。

 

でも視覚障害の当事者だから言える、

経験を伴ったこれが現状なんだ。

 

きれいごと、建前、理想と

現実は必ずしも同じでない。

 

現実に即して

社会全体の認識が変わっていく働きかけをしていかなければ、

そして個人個人の認識が実際変わっていかなくては

理想的社会政策は理想的なまま、

形だけで見果てぬ夢に終わってしまう。

 

それで思い出したのは、

アフガニスタン勤務時のこと。

 

女性が抑圧されたアフガニスタンのような国で、

女性の権利を説く研修を行うこと自体は、それ程難しくない。

 

けれど、難しいのは、

「権利」に目覚めた女性が権利を行使できる場がないこと。

権利を行使しようとすると、危険でさえあること。

 

だから、女性の生活向上のため

安易に正論をかざして

「女性の権利講座」のような講座を行うのにはリスクがある。

 

行うならば、実際に権利を享受できる、行使できる

社会環境も用意されていなければ、

「権利」を知ってしまった女性たちは

更に辛くなる。抑圧感が倍増となる。

 

卵が先か、鶏が先か。。。

社会制度改革が先か、個々人の意識変革が先か。。。

 

同時並行で進んでいくのが理想なのだけれど。。。