海外支援従事者のひとり言

アジア、アフリカ、中東と緊急人道支援で渡り歩き、合間合間で旅に出る、半ノマド生活を送るパルワナが、海外支援で思うこと、旅の話、世界のこと、日本のことについて独り言ちます。

日本の異国ワラビスタンへゴー

ずっと行ってみたかったワラビスタン、埼玉県蕨市

1990年代頃から、トルコでの迫害(*)を逃れて来たクルド人が移り住むようになり、

クルディスタンならぬワラビスタンと呼ばれるようになったらしい。

 

〇〇〇スタン(正確には〇〇〇+イスタン)とはペルシャ語

〇〇〇の土地、の意味。

中央アジアにはスタン国がたくさん。

アフガニスタンやらカザフスタンやら、

タジキスタンやらウズベキスタンやら、

インドだってヒンドスタンとも呼ばれてる。

ジャパニスタンなどと言って、現地の人に通じたりするんです、笑。

昔、アフガニスタンに駐在していた時、

近隣スタン国を全部訪問制覇したいなぁと思ったものだけれど、

結構行くのが大変だったりして、実現できなかったなぁ。

 

国を持たない世界最大の少数民族と言われるクルド人は推計人口4000万人。

第一次世界大戦終結後にオスマン帝国が分割され、

列強が国境線を引き

トルコ、イラク、イラン、シリアに分割されてしまった。

 

イラクのみが

クルド人自治を認めていて、

クルド自治区(KRI, Kurdistan Region of Iraq)と呼ばれ、

政府も軍隊もあり、イラク中央政府と連携を持ちながら、

独自の政治体制を維持している。

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クルド自治区の旗
 

そんなクルド自治区に、

イスラム国の侵略を逃れて来たシリア難民や国内避難民の緊急人道支援

2015年から4年駐在していた。

 

それは置いておき、

 

ワラビスタンには、1,500人ものトルコ出身のクルド人が居住しているらしい。

日本在住クルド人はほとんどトルコ出身で、推計2,000人程度らしいから、

3/4はワラビスタンに生活している。

すごい集中度。

蕨がワラビスタンと呼ばれるのも納得しちゃう。

 

一緒に行ったマルちゃんは、宿題をしてくれていて、

「ワラビスタンは異国情緒あふれる街でなく、

クルド人はひっそりと暮らしているらしいよ。」

と教えてくれた。

 

確かに。

 

二人で初ワラビスタンに降り立ったけれど、

京浜東北線蕨駅東口に出た)

至って普通の日本の地方都市風なおもむき。

クルド人らしき人にさえ、ほとんどすれ違わない。

 

そういえば、「蕨」と「クルド料理屋」でググって見たけど、

「ハッピー・ケバブ」ぐらいしか出てこなかったし、

クルド食材屋さんも辛うじ1軒ヒットしたのみ。

 

とりあえず、マルちゃんと2人、

「ハッピー・ケバブ」に行ってみた。

 

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ビーフケバブ

(*) 1980年代、トルコ国内のクルド人独立運動を展開し、トルコ政府と武力対立したことにより、トルコ政府がクルド人への弾圧を強化した。