私はまさにその歴史の舞台であるエルサレムに駐在していた。
いろいろな民族や宗教が入り乱れ、国盗り合戦の舞台となり、
今も争いの渦中にある、歴史の街、エルサレム。
西エルサレムはイスラエル側に属し、ヨーロッパやアメリカのような西洋的雰囲気を醸し出している。
歴史の舞台のど真ん中、旧市街地はアラブ側に位置している。
面白いぐらいに異なっている東西エルサレム。
以前分断されていた東西ベルリンには、どちらにも行ったことがないけれど、
きっと、こんなにも違っていなかったはず。
文化・風習・宗教の違いが、
元は同一だった場所をこんなに変えるのだなぁと興味深く思う。
さらに、城壁に囲まれた0.9km2の狭い旧市街地の中も、
キリスト教地区、ムスリム地区、ユダヤ地区、アルメニア人地区、と
くっきり境界がある。
地区ごとに、見事に雰囲気や人々のいでたちが違っている。
そのような線引きを気にしないのは、私のような部外者の駐在員や旅行者のみか。
でも、部外者は、今度は「よそ者」として扱われちゃうんだなぁ、これが。。。
そんな聖なるエルサレムには
世界中から巡礼の人々がやってきて、通年、込み合っているけれど、
いばらの冠をかぶせられて、十字架を背負い、罵声を浴びながら歩いたヴィア・ドロローサも
イエス様の苦難を想像しながら歩く巡礼者で大渋滞。
(現在ヴィア・ドロローサの始発点からある地点まではムスリム地区になっていて、
道の両脇はお土産屋さんなどでにぎわっています。。。苦笑)
復活を記念して跡地に建てられた聖墳墓教会がヴィア・ドロローサの終着点。
西暦325年に、時のローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が
ゴルゴタの丘と考えられるこの地に教会建立を命じたらしい。
各宗派がそれぞれのしきたりで儀式を行う。
ググって見たら、カトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会
の共同管理。
ここにも分離が。。。
え、なぜ、エルサレムに駐在していたかって?
国際的にテロ組織と目されるガザ地区を牛耳るハマスとイスラエルとの2014年の紛争で
被災したガザ住民の人道支援事業実施のためです。
ガザを牛耳るとは言うものの、テロ組織とは呼ばれるものの、、
ハマスはもともと正当なる選挙で住民に選出された組織なのである。